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ブランスリー電脳ちょっとだけ版
近所の客に喜んでもらうために何でもしてきた - プーフレカンテ 狩野義浩社長に聞く [2012年8月号 インタビュー]


2000年のオープン時以来の人気商品である「クローネ」(120円)。生地はクロワッサンで、カスタードと生クリームを混ぜたフィリングは、客の注文後に注入する
 愛知県名古屋市にある「プーフレカンテ」は、「近所の客」に喜んで利用してもらうために、努力を惜しまないベーカリーだ。2000年にオープン、日商8万円からスタートし、少しずつ売上を伸ばし続け、現在は1日50万円を売り上げるまでになった。狩野義浩社長は「僕は修業時代は有名店が多かったので、自分の店は、敢えて立地条件のよくない場所に出しました」と話す。看板も何もない素の状態の自分でゼロからスタートすれば、ベーカリー運営についてのいろいろなことが改めて見えてくると考えたのだという。そんな謙虚な姿勢は、同店を地域の人たちに親しまれる店に少しずつ変えていった。

深夜の2時に客が来ても対応した
―――狩野さんがこの店を出したのはいつですか。また、その前は、どんなお店で修業されていましたか。
狩野 この店をオープンしたのは2000年です。修業時代は長かったですよ。最初にビゴの店に7年間お世話になりました。神戸の本店のほかに東京のお店でもお世話になりました。それから長野県白馬村のペンションで1年働きました。これは接客を勉強したかったからです。さらに、フランス菓子のお店に5年間お世話になりました。あとは、「魔法のパン」という愛知県東海市のお店の立ち上げを店長としてやらせていただきました。そこでは5年間店長を務めました。独立したのは37歳のときです。
―――満を持しての独立だったわけですね。
狩野 チラシも配らず、宣伝もせずに、静かにオープンしました。近所の人にとっては「あそこに何か新しいお店ができたね」という感じだったと思います。オープン初日の売上が確か13万円でした。それから8万円ぐらいまで下がって落ち着いて、そこからのスタートでしたね。
―――どういうお店を目指したのですか。
狩野 近所のお客様に利用してもらって、喜んでもらえる店にしたいと思いました。そのためには、ありとあらゆることをしました。まず、お客様の注文は絶対に断りませんでした。お客様が何か作ってほしいといってこられた場合は、必ず作って差し上げました。また、「パンを取りに行く時間が真夜中の2時になってしまうけど」といわれても、「大丈夫です。店にいますから」といって、対応しました。
―――深夜の2時ですか。
狩野 当時僕は、ほとんど家に帰らず、店に寝泊りしながら仕事をしていたので、それも可能だったんです。だから、シャッターを閉めたあとに、お客様が来ても対応していました。定休日にパンを焼いてほしいといわれたら、焼きましたね。あとは、テレビや雑誌の取材は断らずにすべて受けるようにしました。結局は、いかにして名前を知ってもらうかということだと思うんです。何もないところから始めた訳ですから、何にでも取り組んでいかないと、だめなんですね。パンの種類も、お客様からの要望でどんどん増えていきました。玄米の入った食パンは、1人のお客様にだけ作っています。オープン当初は、オーダーメイド的な商品も引き受けていて、そのときからの流れで今も作っている商品は結構あるんですよ。
―――お客さんの要望にすべて応えていたら、対応し切れなくなることはありませんか?
狩野 今は、スタッフも増えたし、さすがにお客様の要望にすべて応えていたら、お店がまわらなくなってしまうかも知れません。でもオープン当初、ほとんど自分だ...(月刊ブランスリー2012年8月号へ続く)

プーフレカンテは、「気どらない庶民的な雰囲気の中にも華がある」といった感じの店で、店構えにも、それが現れている

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